ギムレットには早すぎる
風鈴の音が苦手です。
風鈴のなかでも特に鉄製のよく響く風鈴の音が苦手です。どうして私が風鈴の音が苦手になったのか、それには大して深くない理由があります。
福岡に引っ越して三年目になります。風の強い日はミシミシと不安な音を立てる私の住むアパートは、コンビニも学校も郵便局も近く、とても便利で住みやすいです。そして隣の一軒家の軒先には一年中たまねぎが吊るされていて、その横には鉄製の風鈴があります。
暮らし始めて一年目の夏、福岡は地元より北にあるのに暑さは地元よりいくらか厳しいです。引っ越したてのころエアコンをつけることにまだためらいがあり、扇風機と網戸で乗り切ろうとしていました。すると隣の家から涼しげな音が聞こえてきます。鉄製の風鈴の音はよく響き、ガラス製のそれよりとても涼しげです。そうやって風が吹くたびに届けられる音と扇風機と冷凍のおしぼりによって一年目の夏はなんとか乗り切りました。鉄製の風鈴の音を聞いたことがありますか?よく響くし、夏の日なんかは本当に涼しげです。冷凍のおしぼりは近所のサンドイッチ屋で教えてもらいました。ただのおしぼりが冷たい汗ふきになるのでおすすめです。
一年目の秋。秋は台風もありますが、そうでなくても風の強い日が多いです。地元より頻繁にやってくる(気がする)台風のときはもちろん、風の強い日は鉄製の風鈴が踊り狂います。チリンチリンどころではない大きな音で鳴り響く風鈴の音は、きれいというより耳障り、涼しげだった夏の印象とは全く違います。
一年目の冬も風鈴は踊り狂います。冷たい風と冷たい音に私はやられてしまい、窓を閉じてしまいます。窓を閉めても小さくはなりつつ、完全には断つことのできない風鈴の音に嫌気がさしてきました。
そうして春、また夏が来て、夏は涼しげで心地よかったはずの風鈴の音が、秋冬の風鈴の猛攻を受けたあとでは、もはや夏の風鈴の音さえ煩わしいものに感じられます。
秋冬春とまた季節が過ぎそして今、三年目の夏を迎えています。
うるさかった風鈴の音にはもう慣れてきて、あることが当たり前になってきました。本領を発揮する夏、以外の季節にもチリンチリンと鳴り響く風鈴の音。夏の湿気を伴って、ときには花粉とともに、
ほら、
部屋の中に、
......
聞こえてこなくなりました。
三年目の夏、風鈴はなくなりました。
あったはずの軒先、物干し竿の左端、いまだにたまねぎだけはそこにあります。どうして風鈴だけ取り外されてしまったのか、やはり一軒家の持ち主にとってもうるさいものだったのか。その真相は分かりませんが、失ってしまったその音に妙に切なさを感じます。大切なものは失ってから気づく、なんてよく言われます。風鈴の音もそういうものだったのでしょうか。
よく響く鉄製の風鈴の音がなくなって、私はエアコンをよくつけるようになりました。家の窓を開けておく理由もなくなり、窓の外を眺めることも少なくなりました。
窓を閉め切ってエアコンをつけっぱなしの部屋で今年の夏は乗り切ろうと思います。きっと今年の電気代は高いです。
風鈴の音はその失った鉄製の風鈴が思い出されるので苦手です。ただこんなことすぐに忘れてしまうのだと思います。風鈴の音もそうですが、それよりもっと大切なことをたくさん忘れてきたような気がします。少し前まで当たり前だったあの音すらもはや思い出せないように、過去の私の当たり前だったたくさんの大切なことを忘れて生きています。新しい当たり前がどんどんできて、当たり前が当たり前でなくなって、今なのだと思います。仕方ないとは思いつつ、完全にはその入れ替わりを受け入れられない私がいます。皆さんはどうでしょうか。その変化を受け入れながら前を向くのが大人なのだとしたら、私はしばらく子どものままでいると思います。
私はそのことを実感してしまうので、風鈴の音が苦手です。
