2021講評
※掲載順は五十音順です。一部お送りいただいた講評文から掲載時に
改変している個所がございますが、体裁を整える目的でのみ行っており
内容(本文)には一切手を加えておりません。ご了承ください。
江上賢一郎さま
〈総評〉
2020年初頭から約1年半にわたって世界を覆ったコロナ禍は、これまでの私たちの生活のあり方や社会との関係性に断絶と変化をもたらしただけでなく、文化芸術の分野においても公演や展示の中止・自粛といった大きな困難をもたらしました。とりわけ、観客と演者が一つの空間のなかで共にドラマツルギーを体験する演劇という分野にとって、舞台と客席が閉ざされてしまうことのショックは計り知れないものだったと思います。それでも、この困難な状況下で演劇祭をあきらめずに実現させた実行委員会の皆さん、稽古場所の確保も難しいなかで脚本と演出を完成させ、オンラインでの無観客上演を行い、作品を届けてくれた参加劇団の皆さんの挑戦と努力にまずなによりも大きな敬意を評します。今回の出場劇団5組の作品は、近しい人や他者とのコミュニケーションのとまどい、社会や家族から与えられた役割への自己の葛藤など、今の若い世代の人たちが持つ感覚の質感を伝えてくれるものでした。その一方で自分たちの物語に没入してしまうことで、今の社会や世界の別の場所で起きている出来事や他者の存在に対する想像力・視点の描写という点では物足りなさも感じました。自分の物語の核となる体験や感覚を大切にしつつ、一人では実現できない演劇だからこそ、他者を描くことの繊細さ、具体性や個別性の深度に向き合っていくことで、皆さんがさらなる表現の奥行きを広げ、観客と世界を結ぶメディアとしての演劇に関わり続けてくれることを期待しています。
〈各作品への講評〉
劇団 烏龍茶「くだらない」
夏の午後、墓参りに来た3人の女性たちが、帰りのバスを待つ時間のなかでのやりとりを通じて何かしらの関係性をその場所と時間のなかに織り込んでいく。あだ名の変換や女性たちの最初の会話の導入、ラストが唐突な印象はあるが、墓参りという場面設定のユニークさ、シンプルな舞台構成の上で場所の質感を想起させる演出の評価は高かった。墓地という死者の場所を介して関係性が紡がれていくことで、現在と過去という時間軸も含めた他者たちの出会いに重層性を含んでおり、会話の内容や登場人物の輪郭をより丁寧に描きだすことで、今後さらなる展開可能性が感じられる作品であった。
ギムレットには早すぎる「メメント・森」
「ゴドーを待ちながら」をベースしつつも今の学生の姿を重ねつつ、不在の友人についての記憶の変化や、これまでの会話が紙飛行機として戻ってくる場面には、作家の「演劇の構造」を問い直そうとする姿勢が垣間見られて好感が持てた。ただ登場する友人2人の会話が、ある種パターン化された笑いに閉じていたのが少し残念だった。スマホ時代に不在の友人を待つという行為に焦点を当てたことは面白く、その不条理さや矛盾、もしくは別の時間の流れの発見などについてより踏み込んだ描写を見てみたいと思う。
劇団 期間限定「ジョンとジェーン」
作品のテンポや出演者のセリフ回しや演技に関しては、審査員のなかでも評価が高かった。映画「スタンドバイミー」に触発されというストーリについては、主人公の視点を単線的に流すだけでなく、他の出演者との関係性、変化の描写が欲しかった。また設定としての孤児院や、死者という「最も遠い他者」を描くために必要なリサーチや倫理的な視座が十分ではなかったことが、セリフや演出の不自然さ、唐突さに現れていたように思う。今後は劇団の集団性を生かして「自分の頭で描けるもの」以外の世界についてより深く探求してほしいと思う。
Dr.パプリカ「沈む家」
父との越えがたい溝をめぐる娘の葛藤という内面世界と、舞台上の外部世界が入れ子状に変化し影響しあう独特の演出とスピード感が印象的な作品。タイトルも作品への興味を引き込む役目を果たしておりセンスを感じる。ただ、父と娘の対話の非対称性、主人公の内面変化の過剰さ、そのSF的設定の複雑さについては、観客がこれらを短時間で作家同様に理解できるのかという点で疑問が残った。演出のセンスを活かしつつ今後は、自己の外部への探求や出会いを通じて新しい表現を生み出すことに期待している。
ポ~ルト「愛悪」
短い作品ながら、構成や台詞回しのテンポがよくオンラインであっても違和感なく観劇できた。演出も最小限の小道具で、高校の演劇部の雰囲気を表現していたと思う。劇中劇の台本で与えられた役への違和感が、家族の中で演じてきた役割への違和感へと交差していくなかで、主人公が葛藤していく姿が自然なセリフ回しとともにうまく演じられていた。ただ、最終的には物語が男と女という固定的なジェンダー規範へと回収されてしまっており、近年のジェンダー平等の議論や、LGBTQの問題意識と重ねて、男役と女役という舞台上の区別そのものについて問い直す視点があれば、より現代性を持った内容として発展できたと思う。
永山智行さま
(劇団こふく劇場 )
〈各作品への講評〉
劇団 烏龍茶「くだらない」
何よりも、三つ並んだお墓の前に、三人の女を置いたその風景の切り取り方が、この作品の奥行を深くしていたのではないかと思います。最後にはそこにいる三人が死者たちのようにも見え、生きていることの淋しさと可笑しさと小さな喜びを俯瞰するようなまなざしになっている自分がいました。
とはいえ、偶然居合わせた三人が、ここまで深く語り合うためには、もう幾つかの手がかりが必要な気もします。いえ、そもそも深くなんて語り合わずとも、ただ、そこに三人がいさえすればいいのかもしれません。
この作品はまだはじまったばかりのような気がします。言葉をさらに重ねるのか、状況をさらに丁寧に設定するのか、あるいは言葉を削っていくのか、いずれにしろ、改訂を加えることで、さらに作品が深化していくことは間違いありません。どうか長く、上演を重なて欲しいと願うのです。
ギムレットには早すぎる「メメント・森」
優れた作品には、その表現自体への問いが内包されている、とわたしは思うのです。優れた絵画作品には「絵画とは何か」という問いが内包され、優れた音楽作品には「音楽とは何か」という問いが内包されています。「演劇とは何か」という問いを内包した作品をつくり続けたベケットの「ゴドーを待ちながら」をベースに書かれた本作も、「演劇」を深く信じるために、「演劇」を疑い、与えられたものではなく、自分たちの手でもういちど「演劇」をつかもうとしているように思え、好感を持ちました。
さらにもっと深く、根源的なところまで立ち返って、「演劇」という制度を疑ってみて欲しいというのは、わたしの勝手な願いですが、けれどそこからきっと「演劇」の新鮮さは生まれてくるのだとも思うのです。
劇団 期間限定「ジョンとジェーン」
音や明かりの使い方、空間の見せ方、俳優の演技、どれをとっても舌を巻くほどの上手さに思わず嘆息するばかりです。しかし一方で、例えば物理の問題で「ただし摩擦はないものとする」と仮定されたときのような、現実から離れた清潔すぎる手触りも感じてしまうのです。「美は乱調にあり」という言葉がありますが、児童養護施設にいる子どもたちや、子どもを預けざるを得ない親たちの抱える「摩擦」のような矛盾にこそ、ほんとうの美しさは潜んでいるような気がするのです。
この子どもたちへ目を向けた視線の意気やよし。ぜひ、その向こうの醜い人間の美しさまでを深く見通してみて欲しいと願うのです。
Dr.パプリカ「沈む家」
新幹線が、新関門トンネルから海底にもぐっていく中、「この電車はゆかり号、記憶行きです。(中略)駅および車内への危険な感情の持ち込みは禁止されております」というアナウンスが聞こえ、さらに水族館の思い出が語られるという、イメージの豊かな連鎖に、こちらも一緒に旅をしたような感覚になりました。
惜しむらくは、そのイメージの背景にある、現実のどうしようもない体験が、観念的でなく、もう少し具体的に垣間見えると、この心象の旅が、もっと海底深くまでたどり着けたのかもしれません。
ポ~ルト「愛悪」
「役を演じる」ということを、演劇部の公演でのキャスティングと、家庭や社会の中での期待される役割とに重ねる秀逸な構造を持った作品だと思います。終盤に語られるもみじの「いつも、私の後ろにはカエデがいる」というせりふも、もみじの抱えている状況を象徴的に、つまり肉感的なイメージを伴って観客に届くものとして書かれていて、劇作家としての中山栞さんの筆力を感じさせるものでした。
可能ならば、長編として、もみじの父や母の立場や考え方、その他、幾つかの視点で語られる「役割」の物語に仕上げてもらいたいと思うのです。
宮園瑠衣子さま
〈総評〉
まずは皆さま本当にお疲れさまでした。8月公演が延期され、長い時間公演に向けて準備されたのは大変だったことでしょう。また、慣れない撮影も大変だったと思います。
この世の中には表現する手段と言うのはたくさんありますよね。映画や音楽、絵を書いたり、詩や小説もあります。その中で、なぜ私たちは演劇を選んでいるんでしょうか。なぜお芝居をやってるんでしょうか。それはそれぞれ皆さんの心の中に答えはあると思います。今回無観客で撮影された映像で、皆さんのお芝居を観させて頂いて、もしここに観客がいたら笑い声が聞こえるんだろうな、観客の視線を浴びながら演じる喜びを感じたんだろうな、そんなことを思っていました。演劇祭なので、審査をさせていただきましたが、5団体それぞれに魅力があり、苦悩しながら作品作りをされたのは本当に伝わっています。褒めらたところは素直に受け止めて欲しいと思いますし、審査員の言葉がすべてではありません。いつでも芝居ができるように、これからも他のお芝居を観たり、既存戯曲を読んだり、専門書もたくさんありますので、準備を続けて下さい。もしお仕事やご自身の都合で演劇ができない期間があったとしても、いつでもご自身のタイミングで戻ってきて欲しいと思います。今後の皆さまのご活躍をお祈り申し上げます。
〈各作品への講評〉
劇団 烏龍茶「くだらない」
偶然その場に居合わせた他人が何をきっかけに(ある程度の時間)会話を続けていくのか、戯曲を書く上で説得力が問われるが、この作品は構成力と台詞選びが功を奏していた。お墓参りの場面設定を生かし、そこで語られる他者との関わりがこの作品の面白みであり、水道の蛇口をうまく調整できず、水を浴びてしまうことをきっかけに距離が縮まる様もとても良かった。対話の内容から郊外の様子、人物の生い立ちなど、観客にその景色を想像させるような奥行きも感じた。舞台美術も視覚的に良かった。ただ、好みではあるがラストシーンが若干オチように見えてしまうので、戻ってきた先輩と3人との会話中に新聞紙が飛んで来るシーンがあって、そこからもうワンシーンあればより丁寧な終わりが見える気もする。作品全体的にバランスよく、とても魅力的だった。
ギムレットには早すぎる「メメント・森」
この作品は、「ゴドーを待ちながら」をモチーフ描かれているが、このコロナ禍で「待つ」を主軸として創作してく作家の敏感さや繊細さが伝わり、その着眼点は他の作品よりも抜きん出るものを感じた。短い会話の反復性、言葉遊びも面白く、物語が進むにつれて二人の距離が縮まる様などもよく描けていた。モチーフをどのように扱うかは、作家の採択によるもので、そこに言及するのは難しいところではあるものの、モチーフに留まらず物語を進める為にはどうするべきか、場所の設定、時間軸、人物の社会的背景、対比性など、推敲するところはあるように思う。抽象的な部分もこの物語の面白みに繋がる場合もあり、演出家が鍵となる何か、ある程度のルール決め、縛りなどを提示などで、演出家自身の表現の工程のひとつとして劇を組み立てることができれば、観客へこの作品を届ける意味と、作品のまた違う側面が見えたかもしれない。
劇団 期間限定「ジョンとジェーン」
まず、舞台美術、照明、死体の置き方、役者の同線など、戯曲の立ち上げ方は抜群だった。登場人物4人の関係性も会話から背景や悩みが見えるような試みは成功していたし、組み立て方も良く楽しめる作品であった。その反面、既成作品の枠に収まる勿体なさもあり、ある種の社会が決めた概念に流されているようにも感じた。多くの人の認識は間違っていないか、物事の一辺だけを見てはいないか、まずは疑って見るもの大事なことだと思う。劇作家のオリジナリティや表現の差別化は容易い事ではないが、死体をペットにして飼う、餌をあげるなどの行為が、物語の重要な異物となっていたので、これからもそういった創作を大切にして欲しいと思う。今後の期待が膨らむ作品だった。
Dr.パプリカ「沈む家」
父娘の会話がとにかく面白い。他の作品にはない言葉選びはセンスが光るものがあり、ある意味自由を感じられた。物語をどのように構築すれば、より人物の関係性や変化が伝わるのかが今後の課題になるかと思うが、新幹線の車中の場面に留まらず、次々に場面転換する様はさながら新幹線に乗っているスピード感とも類似し、演劇だからこそ成立する部分も楽しめた。今後はその勢いの中の面白味に加え、私たち自身が持っている多面性、社会的背景などが登場人物に投影されている要素が加われば、相乗効果となり表現の幅が広がるように思う。ユニークさは持ちつつ、新しい取り組みにも是非チャレンジして欲しい。
ポ~ルト「愛悪」
シンプルながら、舞台美術や照明がとても印象的だった。高校の演劇部にいる内の女性3人の会話劇で、一人が王子様役をやりたいと言い出したことから物語が展開していく。内面と外見のギャップや、亡くなった兄の変わりに期待されている妹の苦悩、そういった背景説明をメインに置いていた為に、展開の弱さは否めないものの、繊細さと儚さがとても切なく表現されていた。劇中劇で妹が自殺を図るところで終わるのだが、やはり問題提示されたままでは勿体なく、おそらく作家が描きたいのはその先にあるのではないかと感じざる得ない。短編では収まらないと思うので、中編で是非続きを書いて欲しいと思う。
横山祐香里さま
(万能グローブ ガラパゴスダイナモス)
〈各作品への講評〉
劇団 烏龍茶「くだらない」
あとから何度も思い返してしまう作品だった。何度も噛んで味わいたくなるというか。
舞台装置は、お墓(平台)が3つ並んでいて下手に蛇口が一つ。ラストこのお墓を背に3人が語るシーンがとてもよかった。死んでしまった人についてあれこれ思うのだけれども、それはもうどうにもできないこと。知りたいと思っても知ることはできない。それまで会話をしていた3人がモノローグのように一人で思いを語る背後に、何が起こるわけでもなくただお墓があって、そこには、確かに生きていた人がもう語ることなく埋まっている。その感覚がぶわっと襲ってきて、演劇ならではのとても素敵な瞬間だった。俳優の演技に関しては、最初テンポが遅いように感じてしまったのだが、これは演出かもしれないと途中から思い、フリートークの時に聞いてみたら演出とのこと。
日常を描きたかったようだが、日常はもっと早い気も...
どちらかというと私は「何も起こらない」をデフォルメした世界観を感じたので、それはそれで面白かった。ただ、女性3人とも似たような印象で、平坦に見えてしまうのが残念だった。すごくちゃんと演じていたからこそ、それぞれにもっと彩りが欲しかった気がする。
蛇口のシーン、好きでした。笑っちゃいました。
いくつかこちらに伝わり切れないものがあり、それがもったいなかった。特にラストの「ふたば」「新聞が飛んでくる」のオチ。これが伝わりにくかったので、これで終わらなくともよいような気がしてしまった。良い作品だからこそ、もっとベストな終わり方があったように思ってしまう。
ギムレットには早すぎる「メメント・森」
こういった演劇の構造を利用して描くものは、作る側に明確な意図が必要だと思う。それが完璧に観る側には伝わらなくても全然良くて、ただ、そこが緩いと見る側に呼び起こされるものがなく終わってしまう。
演劇への実験・挑戦を感じ、30分間飽きることなく観ることができた。だが、甘かったというか、ハッする瞬間がなく終わっていった感があった。
浦見・虎末がいるフィクションの世界、護道がいる世界、演劇作品を撮影しているリアルの世界、3重構造。護道は何者だったのか...
護道は演出家で、作品とリアルの2重構造かなと思ったけども、パンフレットを見ると護道を演じているのは役者で。衣装も虎末・浦見のほうが普段着で、護道は衣装っぽい。
虎末と浦見が終盤、役者本人になり(虎末がこの作品の作家であることを思わせるセリフも出てくる)護道だけが取り残されるんだが、3重構造に見えているから、取り残されたと感じられず...
冒頭のシーン、セリフっぽい演技にわざとしていて、その違和感が後半で効いてくる。そういった演出は面白かった。
脚本もいろいろ捉えようがありそうで、もっと策を練れば『演劇とリアルの境界線+護道』で浮かび上がるものがあった気がする。最後のメタシーンも、舞台上であれば、客電をつけるとか、もっと生の感じが出せたかもしれないがいかんせん映像なのでこちらに来る実感が少なく残念だった。
とにかく演劇への愛情を感じる作品だった。だからこそ「演劇をやる」でなく「演劇でやる」何がやりたいか、何を起こしたいか、もっともっと突き詰めたものを観てみたい。
劇団 期間限定「ジョンとジェーン」
『居場所』がテーマだったが、主人公の居場所への切実さがもっと欲しかったと思う。
ストーリー展開で観客を引っ張っていく作品だった。
居場所がない孤児院たちの秘密基地に、死体が転がり込む。居場所を守るために死体を飼うが、実は死体は主人公の母であり、殺したのも(事故?)主人公。主人公は飛び降りて母の元へ行く。俳優陣のしっかりした演技や、死体→母への転換、30分での話の転がし方、全体的に完成度が高い作品だった。ただ、物語・展開のための設定過ぎて、薄っぺらく感じてしまう。
この作品で私が一番面白いと思ったのは『死体を飼う』という展開。
死体を置いておくのではなく『飼う』という言葉が、主人公やこの秘密基地に影響を与える予感がしたし、奇妙な言葉の選択なので面白かった。
生きている母と死んでいる母、主人公にとっての居場所はなんだったのか。
そこが物足りず、ストーリーが展開していくために、最後の主人公の行動にも追いつけずに終わってしまった。
Dr.パプリカ「沈む家」
最初から最後まで飽きずに観ることができた。完成度というよりも、この作品に流れる重たい暗い鬱々とした匂いがとても面白かった。辻褄が合わないところや時系列がわからないところ、脚本にある設定が伝わっていない、など気になることは多々あったのだが、新幹線のアナウンスや、妄想シーンのぶっ飛び具合、頭の中にあるものをダーッと出した感が逆にすがすがしかった。
このくらい演劇って自分勝手でもいいよな、と思ったり。
演劇がすごく好き、というより、自分の好きなものや持っている感覚で作る、その方法がたまたま演劇だった、というような感じがした。
マスクをしていたので表情が分からず残念だったが、主人公を演じている俳優がいろんな声色出していて魅力的だった。
ポ~ルト「愛悪」
もみじ・優香、どちらも少女漫画から出てきたような二人だった。役もそうだが、演じている俳優が見事にハマっていた。お姫様ばかり演じているが王子様を演じてみたい優香、家庭の事情で男らしく過ごしているが本当は姫役にも興味があるもみじ。
オープニングに姫が自害するシーン、エンディングにもみじが自害するシーン。ここを重ねることで、観ている側にもみじが姫になったことを想起させる構造は、うまくできていて切ない。
ただ、二人の俳優の演技がとてもお芝居っぽく姫感、王子感じが強いので、そこにほんの一瞬でよいので質感の違う演技を見たかった。素の部分、王子らしさを脱ぐ瞬間が見たかった。
もみじが誰もいない部室でハイヒールを履くシーンがあって、ここはそういった意味でとても重要だ。もっと丁寧に時間をかけていいと思う。