ごぼてん共和国’s コラム



 こんにちは、ごぼてん共和国の脚本・演出を務めさせていただいている、九州大学演劇部の奥 大河です。今このコラムを、迫り来る試験という現実に全力で目を背けつつ書いています。

 私は普段から九州大学演劇部の活動やその一環である公演で、主に脚本・演出を務めることが多いです。このことを言うと、演劇に関わりがあるかないかに関わらず「すごいね」だとか「大変だね」といった言葉を受け取ることが多いです。私は単純な人間で、褒められることはうれしいので、このことに対してネガティブな感想を持つことはありません。しかし、一般にはレポートのような目的を持った文章とは明確に異なる、物語を書き出すという行為に何か距離感を感じる人が多いとは感じます。今、この文章をお読みいただいているあなたもそのようなイメージを持っているかもしれません。そこでこのコラムでは、私が物語を書くということにどのような面白さ、やりがいを感じているかについて述べさせていただきます。

 まずはどのようなモチベーションを駆動力にして物語を書いているのか、ということについてです。これは他の人によく聞かれる質問でもあります。先に私なりの回答を述べると、面白そうだからです。すみません、全く解像度の高くない回答ですね。もっと具体的に表現すると、面白そうな世界が降ってきたからです。面白そうな世界とは、面白い設定でも主人公でも、シチュエーションなど何でも含んでいます。面白そうな世界が頭の中に生まれて、面白そうだなと感じると、自然とその世界が広がりより鮮やかになっていきます。その世界を文字に起こして他の人に伝わる様ようにしたのが、物語だと思っています。

 今回の「金が無くては、殺しはできぬ」も世界の始まりは「アラフォーの女殺し屋」という主人公の属性に面白さを感じたところです。様々な作品に殺し屋や怪盗は登場しますが、大半は男性で女性はいたとしても、若く美しいという属性を持っていると感じていました。じゃあ俗におばさんと呼ばれるような年齢の女殺し屋はいないのか、とはなりません。強かに、老獪に生きていると思います。そんな武器を持つ女殺し屋の日常の1ページが「金が無くては、殺しはできぬ」の世界です。他の物語を書く面白さに、物語は一人では完結しないということを挙げたいと思います。物語は誰かが書けば、誰かに読まれます。演劇で言えば、役者や脚本、演出などが生み出す複合的な物語は、観劇した人に届きます。物語の受け取り側が、作り手の世界をどのように解釈して世界を観るか、このことを想像しながら物語を書く過程はとても面白いと思います。その過程で、日本語の表現やキャラクターの振る舞いに頭を悩ませ、実際に役者に読んでもらう中で物語について議論を交わして、よりよいものに仕上げていく過程は、公演を作る側の楽しみの一つだと思います。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。演劇祭の中ではコメディタッチな、やや肌触りの違う演劇だとは思いますが、だからこそ肩の力を抜いて楽しんでいただければとおもいます。

 それでは試験勉強に戻ります。

九州大学演劇部所属

九州大学理学部生物学科2年 奥 大河

演劇祭 「ごぼてん」お届け するために 課題も稽古も ブレイクスルー

『ごぼてん共和国』代表 かーりん


福岡学生演劇祭2024実行委員会
Gmail: fukuoka.gakusei.engekisai@gmail.com
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう